キリンと魚顔

アイドルや音楽、映画のことをそぞろそぞろと書いてみます。

『地獄でなぜ悪い』

 

TSUTAYAで準新作が100円だったので借りてきました、映画『地獄でなぜ悪い』。

園子温監督の作品、初めて!時効警察は何回も観ましたが。

役者役者役者ーーー!!!ってかんじでした。

 

多彩すぎる役者陣

 

まず“役者”陣の濃さ、くどさ、厚さ。

國村隼の説得力に、堤真一の幅広さに、

二階堂ふみの存在感に、星野源の本気ふざけに、

長谷川博己の異常者ぶりに、友近の取り憑き具合に、

どこに目をやっていいやらというかんじでした。

ミッキー・カーチスまで出てくるし。めっちゃかっこいい。

 

神話的な平田の振る舞い

 

主人公は…誰なんでしょうか。

ここでは長谷川博己演じる、最高の映画を撮るためだけに生きる男、平田純に焦点を置きます。

少年時代から変わらずに映画の真似事をし続け、映画の神様を待ち続け、

3人の仲間、谷川、御木、佐々木と共に10年間を棒に振るう。

しかし彼の中にはとにかく最高の映画を撮ることしか意味のあることはなく、

そのための犠牲は承知の上なのである。わかった上で棒に振るっているのだ。

『良い映画が撮れれば俺は死んだっていい』と言って。

彼には一切の迷いも葛藤もない。まるで神話の世界の英雄のように。

なので、最高の映画の舞台との遭遇は、偶然ではなく運命なんだと。

そして彼は映画の神様に定められた運命を一心不乱に全うする。

運命に従った彼の行動は他人をも巻き込み、

全ての人を“役者”にし、全ての場面を映画のワンシーンにしてしまう。

 

 

ヤクザの抗争、そして警察の突入隊の攻撃の中で、

役を終えた(目的を達成した)登場人物は次々と死んでいく。

平田の仲間たちも同様で、

最高のシーンをフィルムに収めた谷川と御木も死に、

最高のアクションを演じてみせた佐々木も死んでいく。

しかし平田は死なない。撃たれてもなお死なない。

そう、『良い映画が撮れれば俺は死んだっていい』というのは、

良い映画を撮るまでは死なないということだ。

彼にはまだやらなければならない仕事がある。映画を完成させなければならない。

撃たれながらも起き上がった彼は、

撃たれたことも気にせず、仲間の死を誇り、フィルムを回収し、

素晴らしい作品の完成を想像しながら逃げていく。彼の表情には悦びしか見られない。

 

エンディング

 

 

最後の平田が逃げて走り続けるシーン。

急にカットがかかり、平田はその役から俳優の長谷川博己に戻る。

びっくりした。

つまるところ、平田も最高の映画の中の“役者”の一人に過ぎず、

その最高の映画がこの『地獄でなぜ悪い』なのだ。

そして撮っているのは監督、園子温だ。

つまり平田=園子温

監督の、映画に対する並々ならぬ情熱と使命感。

それらが溢れんばかりに詰まっているこの映画。面白い!!